2016年07月17日

ばいばい、じいちゃん

俺がたった一人の男孫だから、よく可愛がってくれたよね。母方のじいちゃんだから一緒に住んでいた訳じゃないけど、十五のあの日から俺のたった一人のじいちゃんになった。結局死に目には会えなかったけど、こればっかりは仕方ないよね。

糸魚川にある母の生家に、よく一緒に泊まりに行った。というかじいちゃんはばあちゃんとほとんど毎週末糸魚川に行っていたよね。間際まで気にかけてたもんね。本当に思い出の場所なんだね。母からいろいろ聞いてるよ。民宿とかもやってたんだってね。海に近いし山も近いし、民宿やるにはもってこいの場所かもしれないね。

お盆やゴールデンウイークの連休になるとみんなで糸魚川に行ったよね。バーベキュー(当人は山鍋と呼んでいたが、あれはバーベキューです)をしたり、花火をしたり、海水浴したり、釣りをしたり、いろいろやったね。生前俺にポツリと漏らした「あの頃が一番良かったな」って言葉、ちゃんと覚えてるからね。俺もそう思うよ。俺はてっきりじいちゃんがこの先もずっとずっと生きているものだとばっかり思ってたから、先の事ばっかり見てたのかもしれないな。

まさか俺の誕生日に行っちゃうなんてね。思ってもみなかったよ。それも三十の大台に乗った日だぜ。周りからは「たった一人の男孫のアンタが可愛かったから、覚えていて欲しくて今日まで頑張ったんだよ」って言われたよ。なあじいちゃん、本当にそうなのか?本当に俺なんかでいいのか?多分いいんだろうな。俺は覚えておくよ。忘れない。今でもじいちゃんの笑い声が聞こえてきそうだ。

本当に笑われてしまうかもしれないんだけど、俺はてっきり俺が精神的に成熟するまでみんな死なないものだと思っていたよ。誰かが死んでも「そうか、仕方ないな。今までよく頑張ったもんな」って笑って言えるようになるその日まで、誰も死なないと思っていた。でも違うんだな。こうやって一つづついろんな経験を重ねて、精神って成長していくもんなんだな。これからも人は死んでいく。
これは俺が実家に帰ってきてしばらくしてから思ったことなんだけど、俺は結構、というかかなり周りを愛している。というか、この瞬間を愛している。東京という街を離れてみて、ビルだらけのあの街を懐かしくて、そして思ったよりもずっと温かかった事を考えて愛しく思った。そして富山に帰ってきて昔のことを思い出し、それもまた愛しいなと思った。
今この瞬間が永遠に続けばいいなって思っちゃうんだ。そんなこと無理だし、それじゃ成長がないのはわかっているんだけどね。それでもそう思ってしまうんだ。
だから俺は忘れない。この一分一秒を大切にしたい。それは結局のところ『無駄な時間を過ごさない』ってことじゃないかなと思うんだ。回り道があってもいい、それは無駄なんかじゃない。一見無駄に見えることと、本当に無駄なことって違うもんな。例えば家族の団欒なんて、時間的には無意味でしかないよ。突き詰めるとね。どうでもいい話をしてたりなんかすると、それぞれの時間を浪費してるだけにしか見えない。でも、違うんだよ。そこに無駄はない。いつもそれをわかってなきゃいけないんだ。わかろうと努力しなきゃいけないんだ。
あと一見してわからないのは大切なものとそうじゃないものの見極めだね。物なんかだとわかりやすいんだけど、時間の過ごし方になるとそうはいかない。誰と、何をして過ごすかって大切になってくる。嫌いな奴と何となく過ごす時間は本当に無駄な時間だ。

時間は有限だ。いや、時間そのものはきっと無限に近い。でも、『与えられた時間』ってのは有限で、一人一人違うものだ。俺が後何年生きられるのかわからない。じいちゃんみたいに昭和一桁から激動の時代を生き抜いてきた世代ほど強くない。医療は高度になっていくけど、健康寿命なんてものはこれから先驚くほど短くなっていくんじゃないかなと思う。だから、今何をしなきゃいけないか、自分で考えて知っておかなきゃいけない。

ねえ、じいちゃんはそういうの考えてた?いつも自分のすることわかってた?俺はバカだし、要領が悪いからそこんとことよくわからないんだ。正確に言うと、まだ、わからない。きっとその内わかってくるんだろうね。
昔さ、釣りに行ったじゃない。湖に。ほら、ブラックバスが釣れるってとこさ。あれ、時間かけてワクワクして行ったけど、新しく買ったリールが一瞬でぶっ壊れて意気消沈したよね。あれ、無駄な時間かと思ったけど、今になって考えてみると、全然無駄なんかじゃない大事な思い出だよ。見極めって難しいね。

そういや、海外旅行好きだったよね。ばあちゃんに聞いたら十三、四カ国回ったんだってね。定年間際から旅行行き始めてそれはかなりすごいと思うよ。俺はまだ二カ国しか行ったことがないから、いつかそんな風に回れる日が来たらいいな。

ああ、名残は尽きねえな。もっと会っときゃよかった。もっと話をしとけばよかった。まあ、もっとはキリがないからこの辺でやめておくよ。最初に癌が見つかった時は持って半年って言われてたのに一年以上もよく持ったと思う。頑張ったね。さすがだよ。その辺見習って、俺も粘り強く生きなきゃね。

そうそう、今日坊さんの説教で『白骨の御文』の話をされたよ。『されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり』で有名な手紙だよね。人生の終わりはいつやってくるかわからないから、大切に生きないといけないんだって。だから死ぬ時は「ああ、生まれてきて良かった」って思えるように生きないといけないんだってさ。俺は後悔ばっかりしてる人生だからさ、そうできるかわからないけど、じいちゃんはどうだった?八十年以上生きてみて、子供に孫、ひ孫の顔まで見られて、良い人生だったかな?もしそうであれば、幸いです。

ああー、インターネットって世界中と繋がってんのにあの世と繋がってねえのは不便だよな。そしたらまだまだ話できるのにな。まあ、いいよ。後何十年かしたら俺もどうせそっちに行くことになるんだ。それまでのお楽しみ。

俺から話したいことは大体話せたかな。聞きたかったこととかは知ってる人に聞くよ。たまには夢に出てこいよ。家のじいちゃんはまだたまに夢に来てくれるぞ。まあアレか、今頃は世界中の国々を回ってんのかもしれないし、その後でもいいや。

満足したら向こうに行きなよ。お盆にまた会おうぜ。
じゃあな。ばいばい、じいちゃん。


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2016年07月15日

拝啓、二十歳の俺へ

よう、元気にしてるか。俺だよ、俺。お前だよ。
十年後の俺だ。信じられないかもしれないけど、本当なんだよ。お前にも十年後ってやつはある。
なあ、お前は今東京に出ようとして必死に金を貯めてるところだよな。いや、いいと思うよ。やりたいこといろいろあるんだもんな。だけどな、それは絶対失敗するからよく覚えとけ。バンドは八回組んで、全部空中分解しちまうよ。原因はいろいろある。お前が良くない部分もたくさんある。だけどまあ、いろんな人と出会えるから、それで良しとしておけ。んでな、お前は東京に出るわけだけど、楽しいことばっかりじゃないぞ。楽しい分だけ苦しさがある、それは金銭面だったり、人との別れだったり、まあいろいろだ。時には立ち止まって、もうこれ以上前に進めない日も来るだろう。具体的には二年後くらいに来る。でもな、それがきっかけで、お前はちょっと変わる。ほんのちょっとだけな。何でもやってやろうって気になる。でもな、気がするだけだ。その仕事はやめといたほうがいい。見識は広がるけど、誰にも自慢できるような知識じゃないんだからな。まあ頑張るのはいいことなんだが、少しは友達に相談したりしなさい。
あとな、お前、病気するから。結構でっかいやつ。今も薬飲んでる。大変だけど、こればっかりは仕方ないから、我慢しな。
あとな、これは三十になった当日なんだが、おじいちゃんが亡くなるよ。これの文末まで書き終えた頃に連絡が来る。今日は大丈夫だと思って十時すぎに帰ってきたのにな、急に亡くなるよ。お通夜と葬式はいつだろうな。書いてる今は実感ないと思うけど、明日になれば顔を見ることになると思うし、その時存分に泣けばいい。

お前、三十歳ってどんなんだと思ってた?
何かが劇的に変わると思った?心配すんな何にも変わりゃしないから。変わるってのは、大変なことなんだよ。年食ったからって簡単に変われたらだーれも苦労なんかしねえんだ。まずは諦めないことなんじゃねーかな。
お前はバカで、心が弱い。まずそれを理解して、治せ。治せるかどうかじゃない。努力しろ。お前は思い込みが激しいし、突っ走りやすい。

二十九歳、お前は遺書を書くだろう。だが、死ぬな。死んだら終わりだ。
頼む、生きてくれ。後悔はあっていい、この先の不安もある。だけど、生きてくれ。
生きて三十になって、また考えようじゃないか。
決して良い十年ではなかった。辛い、苦しい十年だ。その分楽しい十年でもある。
苦しみと楽しみ、どっちが多い?と言われたら間違いなく苦しみが多い。それでもお前の人生なんだ。お前の人生を代わりに生きてくれる人間はいないんだよ。

ここからは十年後の俺への問いだ。なあ、お前は今楽しいか?十年前に戻りたいと思うか?後悔は多いか?もう人生も折り返し地点を過ぎたな。どんな人生だ?仕事はどうだ?嫁はできたか?子供はどうだ?ていうか、生きてるか?人生何があるかわかりゃしねー。もしかしたら明日死ぬかもしれねえんだから。結構重要だろ?そこんとこってさ。

いいか、十年前の俺よ。いいか、十年先の俺よ。夢を見ることを諦めるなよ。人は夢っていう目標で動くんだぞ。ほんの少しでいいんだ。夢を忘れるな。
あとは今の俺から言えることはない。頑張れよ。


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2015年11月13日

肉欲企画。更新終了について

肉欲企画。
日記
http://2949.seesaa.net/article/428959418.html

彼は、俺の駐在していた2ちゃんねるのVIP板に彗星のごとく現れた。それも、圧倒的な文章力と気違いじみた世界観を携えて。

当時の俺は、まだ二十歳にも満たないガキンチョだったが、それでも
「この文、まともじゃねえ…!」
と思った。
まともじゃなかったのである。
出来杉君がぶっ壊れたり、スネオをアナルを破壊したり、常識的に考えて、まともじゃなかったのである。

スレの最後に
『俺、肉欲企画ってブログやってるから、ヨロシク!』
と書き込まれていた。

「なんだよ、売名かよ。クソだな」と思いつつもそのブログを眺めてみると、チンコマンコやアナルのアホみたいな下ネタが並んでいる。それも、多い時にはほとんど毎日更新しているではないか。
正気の沙汰じゃねえ。俺は思った。それから過去ログを貪るように読み、更新を待った。毎度の更新で感じたこと、彼は安打製造機であり、また、ホームランバッターであった。

当時、ブログの最盛期だったらしいが、俺は肉欲企画以外のブログはほとんど読んでいない。何故か、と聞かれれば彼の文の前にはほとんどが霞んでしまうからだ。
他のブログがつまらないと言っている訳ではない。俺が好きな文が肉欲企画だった、というだけの話だ。その辺りは勘違いしないで欲しい。


俺の好きな記事を紹介しておく。

出来杉くんが壊れた日
http://2949.seesaa.net/article/18389766.html


ちなみに、俺がブログを始めたきっかけは彼に憧れを抱いたからだ。だから同じSeesaaでブログを始めた。
彼はインターネット上で賞賛を受け、ライターをやり、そして俺は何にもなれなかった訳だが、文を書く楽しさについては彼から学んだというか勝手に感じ取ったと言っても過言ではない。元々、作文が苦手で書くことなんてしてこなかった。人生、何がきっかけで何がどうなるかはわからないものだ。


ファンの一人として彼のブログエントリー内容の変化についても触れておかなければならない。
当時、先に触れた俺が読み始めた頃(下ネタオゲレツ満載)と終盤、更新が不定期になった頃では内容、いや内容というか、何かが明らかに違う。それは一人の男の成長や悩みがあった上での変化だと思う。
当初、彼のモチベーションは世の中への怒りだったかもしれないし、承認欲求だったのかもしれない。
それはわからないが笑わせにくる文から、投げかけてくる文に変化していった。若干説教臭い時もあった。俺はそこまで含めて、彼の文が好きだった。

俺はオフ会に何度も参加し、読者という枠を超えて彼と付き合ってきた(と個人的には思っている)。文だけではわからない彼の人柄が見えてくると「ああ、この人は葛藤を抱えている」と感じた。『肉欲さん』が重しになっているのかもしれない、とも思った。俺にも経験がある。自分で作り上げた自分というのは、存外重いものだ。
俺は「昔と比べると変わったけど、今の文も結構好きだよ」と伝えた。それは本心であった。
変わらないものなどこの世にない。ましてや人間のことだ。昨日と今日で変わってしまうことなどたくさんある。
彼の言葉が俺達にはいつも正しく、力強いだけに、たった少しの変化が如実に感じられただけだ。俺はそう思う。

内容が変わったように感じるが、本当は内容は変わっていないと俺は思う。ただ言葉の発し方が変わった。それだけのことだ。俺達はいつだって彼の本音に触れてきた。本音を包む膜の厚さが変わっただけだ。きっとそうだと思う。

文を書くということは自分の中にどれだけ深く潜るか、ということに似ているような気がする。そして潜った先で言葉を見つけてくる。その言葉を伝えるため、それは至極どうでもいいようなことだったりする事も往々にしてあるが、ブログを始めた当時の彼は、とにかく誰かに伝えたかったのだろう、何かを。衝動を。
きっと、ブログ更新の終了のお知らせを持って、彼は深く潜った自分の中から顔を出し、息継ぎをしているのだろう。



出会った当時の彼は鹿児島にいて、俺は富山にいた。それが関西のオフ会で出会うことになり、その後俺は東京に出た。彼も卒業し、東京に出た。

彼がまだ鹿児島にいた頃、俺は東京からバイクで友達の家を転々とさせてもらいながら下道をひた走り遊びに行った。その最中、静岡県の野田山運動公園でキャンプをした。一人、真っ暗なキャンプ場はあまりにも怖すぎた。これは2ちゃんねるの力を借りよう。俺は友人に頼みスレを立てた。
立てたスレは10レス程で誰かに乗っ取られた。見事なホモスレッドである。文章に見覚えがある。間違いない、鹿児島のあいつだ。
「肉欲…、あの野郎…!」
と思ったが結果的に楽しかったのでキャンプ場の怖さは忘れられた。でもクマ注意の看板にマジビビリして山を下った公園のベンチで寝た。

確か鹿児島に着いたのはド深夜の二時とか三時だったと思う。それでも彼は腹が減ったとゴネる俺に豚丼を作って出してくれた。
結局鹿児島には一週間ばかり滞在させてもらった。酒を飲んだり、温泉に浸かったり、最終日には焼き肉を食ったり。今でも忘れられない。

去年は二人でロードバイクに乗り、東京から銚子を目指した。乗り始めて数ヶ月の初心者の俺達には、140キロの道程は恐ろしく長かった。あの時受けた利根川の向かい風には今でも憎しみを抱いている。一日で水分を3リットル摂ったのに、3キロ痩せたのはあの時が初めてかもしれない。

大阪へ行った、沖縄に行った、岩手に行った、その他にも思い出は山のようにあるが、それを書くときりがないので割愛する。何かの機会があれば、思い出話の一つとして書くかもしれない。


俺の東京での生活は、彼無しでは数ヶ月で終わっていたかもしれない。
彼づてで知り合いが増え、生活は楽しい物になった。感謝している。

彼は酒が好きで、よく一緒に飲んだ。楽しい話もしたし、寂しい話もした。オフ会、飲み会で出会いや別れがあった。
どれも酔っ払っていたので完璧に覚えてはいないし、またそれでいいと思っている。
大切なのは『一緒に飲んだ』という事実と『また飲もう』と約束をしたことである。
彼は実家に帰り、東京を去る。俺も現在、東京にはいない。
しかし、俺達はまたきっと約束をする。

『また飲もう』


長い間お疲れ様。俺はアンタの、VIP時代からのファンの一人だ。

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posted by 八雲みつる at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月17日

【新訳】浦島太郎

 ある海沿いの田舎町に、浦島太郎という冴えない若者がいた。浦島は無職である。そして働く気もない。両親と同居しており、毎日毎日、穀を潰しながら生きてきた。時々外に出て、海を眺めたりコンビニで週刊少年誌を立ち読みして暮らしている。今年で三十路の大台に乗る彼だが、不思議と焦りはなかった。「まあなんとかなってきたし、この先もきっとなんとかなるだろう」という砂糖菓子のように甘い考えをいつまでも断ち切ることができず、将来よりもワンピースの最終回を案じている。

 ある日、ぼんやりと昼食を取った後に散歩に出た。浦島の家から、歩いて五分ほどのところに浜辺がある。砂浜から海へ伸びる堤防の先へ腰掛け、盛りを過ぎた夏の風に吹かれていた。
俺はこの先どうなるだろう。大学を出たものの、就職難で仕事が決まらず、世間の荒波に揉まれる前に難破してしまった。まだ港も出ていなかったのに。これは製造元が悪かったに違いない。俺は与えられた泥船に乗り遅れ、出港する先を失ってしまったのだ。もしかしたら泥舟だって、グランドラインは無理でも次の島には行けたかもしれない。俺に責任はない。救済措置はないのか。働きたくはないが、金だけは欲しいものだ。相変わらず駄目なことばかりを考えている浦島であった。

 日も傾きかけ、風も涼しくなり始めた頃、浦島は堤防を引き返した。静かなさざ波の音に混じって、男の怒号が聞こえる。

「オラァ!きっちり金払わんかい!」

「今日という今日は許さんぞ!」

「沈めたろかこのボケェ!」

「ヒィーッ!ご勘弁を!」

 砂浜で一人の男が黒服の男達三人に袋叩きにされていた。浦島は見て見ぬ振りをしようとあさっての方を向いて歩いたが、ボコボコにされている男が浦島に助けを求めてきた。

「た、助けてください!」

差し出された手が浦島に向けられる。

「おう兄ちゃん、どこの誰か知らんが、見ねえフリして行っちまいな」

「そうさ、コイツはそれだけのことをやったんだ」

「あんまり関わらねえ方が見のためだぜ」

浦島は愛想笑いを浮かべて会釈した後、全力で砂浜を走った。

「ああー待ってー助けてー」

 悲壮な、それでいて情けない声が聞こえてくるが、無視して全力で走った。海沿いの道に出ると、ちょうど派出所がある。いつもパトロールに出ている警官がちょうど戻ってきた所で、ミニパトから降りてきた。見たところまだ若く、浦島と似たような年だと思った。若干頼りなさを感じたがこの際仕方ない。

「おまわりさん!海でケンカです!堤防近くの砂浜で一人がボコボコにされています!」

「ナニッ!それは一大事!早速向かいますから安心してください!」

 警官は降りたミニパトに飛び乗り、サイレンを鳴らして走っていった。浦島は怖かったが、野次馬根性が恐怖を上回り、とりあえず踵を返し現場に向けて歩き出した。


 現場ではしきりに警官に頭を下げる顔を腫らした男の姿があった。黒服の三人は既に逃げた後らしく、どこにも姿は見えなかった。
警官が浦島を見つけ、話しかけてくる。

「先程はありがとうございます。ご協力感謝します!奴らはこの辺りでも悪名高い『架空請求小判鮫ファイナンス』という高利貸しの手先で、我々も手を焼いている連中なのです。今回は取り逃しましたが、次こそ本官の名誉にかけてもとっ捕まえて見せます!」

若く、正義感の強い警官のようだ。

「まだどこかに潜んでいるかもしれません。帰り道には十分注意なさってください。本官は上の者への報告がありますので、これで失礼します!」

警官は敬礼をしてミニパトに乗り込み、派出所に戻っていった。


 男と二人きりになり、非常に気まずい。さっき逃げたことを怒っているだろうか。いやアレで怒られても、こちらとしても困る。だいたい仕事もせずに家でダラダラ暮らしているような人間が、いかにもヤバそうな男三人に大立ち回りができるわけがない。俺は最善の方法を取ったはずだ、非難されることなんてない。

じっとこちらを見ていた男は、浦島の正面に回り頭を下げた。

「先程は、助けて頂いてありがとうございます!」

 面食らった。恨み事の一つでも言われると思ったのに、いやに潔い謝罪っぷりだ。

「おまわりさんから話を聞きました。あなたが派出所に駆け込んでくださったんですね。お恥ずかしい話ですが、今日が借りたお金の期日だったのです。それを払えず、ああなってしまっていた有り様です。まったくお恥ずかしい」

 ボコボコにされるかもしれない悪名高い高利貸しに金を借りるとは、一体どんな事情があるのだろう。気になった浦島は話を聞いてみることにした。浜辺にある自動販売機で缶コーヒーを一本、男におごってあげた。おごってあげたと言っても、それは浦島本人でなく親の金である。浦島は親から小遣いをもらっていた。コーヒーを受け取りながら男は話し始める。

「申し遅れました、私、亀田といいます。止むに止まれぬ事情がありまして、危険とわかっていた金貸しからも金を借りねばならなくなりまして……。今回はなんとか逃げられましたが、この先どうなるかわかりません。しばらくどこかに身を隠そうかとも考えているところなのです」

「そうですか。大変ですね。もしもよければなのですが、その止むに止まれぬ事情というのを聞かせていただけませんか?」

亀田は頭を掻きながら快活に笑った。
そして次の瞬間に浦島に顔を近づけ、小さく低い声で言った。

「なーに、ちょっとコイツに金がかかってましてねえ。火の車なんですよ」

小指を立てながら話す亀田は、先ほどの冴えない顔からは想像もできないほど、悪そうな顔をしていた。


「ある店で働いている女がいるんですがね、こっちからどうアプローチしても全くなびいてこない女なんですよ。手を変え品を変え、なんとか興味を持ってもらおうと必死になっていたんですけど、なにせお店に行って話をするだけでもお金がかかる。いつしかカードの限度額を超えて、街金に手を出して、そのままヤミ金から借りるまでになってしまったって話なんです」

 浦島は、久しぶりに自分より駄目な人間を見たと思った。ある店、とは恐らく水商売か何かのことであろう。貢ぎに貢いで金がなくなり、借りて返せなくなってまでも未だに店通いがやめられない。単純に亀田が愚か者であるという話だ。
浦島はいたたまれなくなり、その場を去ることにした。

「そうですか。大変ですね。それでは私はこれで」

「ちょっと待ってください!」

大変嫌な予感がした。

「待ってください、あなたは私の命の恩人です。浦島さん、今夜は私のおごりで、パーッと行きましょうよ。なあに、奴らに返すはずだった金の一部は私の懐にあるわけでして、心配はご無用です」


 根っからのクズだな、と思った浦島だったが、命の恩人と言われて悪い気はしない。それに帰ってもどうせネットを巡回して寝るだけだ。ここは一つ、社会勉強のためにも……。

「わかりました。ご一緒しましょう」

浦島、彼もやっぱりクズだった。


 二人はバスに乗り、繁華街へ向かった。バスの中では亀田が大いにテンションを上げて惚れた女がどれだけ美人で素晴らしいか語っていたが、目的地の繁華街が近づくに連れて静かになっていった。

「ちょっとバス酔いが……」

もう、黙っていろ。


 小じんまりした繁華街では、客引きもまばらだ。バス酔いの亀田がたまにふらつくものの、目的地に向かってまっすぐ歩いて行った。


【CLUB 龍宮】

「いらっしゃいませ!」

 きちんとした身なりの男が二人を出迎えた。席に通され、バス酔いもなんのその。亀田のテンションはどんどん高まっていった。

「亀さん、お久しぶりー」

 現れた女に驚いた。亀田の話を半分にして、そのまた半分にした程度にしか信用していなかったのだが、美人である。あまりにも美人である。

「初めまして。乙姫です」

 浦島の脳に電気が走った。これは、これは。亀田の気持ちがわかってしまいそうになった。
スラっとした細身の体だが、胸は霊峰富士を思わせる優しく大きな膨らみである。目はぱっちりと大きくも、どこかに気だるい含みを持ち、筋の通った鼻、色気のある唇。筆舌に尽くし難いとはこのことだ。

 夢、これは夢だと思った。夢のような美しい人と、夢のような美酒を飲み、落ち着いた音楽が流れる店内は、普段の生活の拠点となっている実家の六畳間と比べたら夢と思う他ない。目の前が、キラキラしている。世界はこんなに色彩で溢れていたのか、今まで見ていた景色は一体何だったのか。

 うっとりしている浦島の肩を、黒服の男が叩く。

「お時間です」

 浦島はハッとした。ほんの数分の出来事かと思ったが、一時間も経っている。亀田は立ち上がり、へへへと下卑た笑いを浮かべる。

「それじゃあ今日はこれで。浦島さん、行きましょう」

 後ろ髪を引かれる思いで席を立つ。亀田が一万円札を数枚黒服に渡す。浦島には相場が分からなかった。何せ今まで来たことのない知らない世界だ。ただ、たかだか一時間で何万円も飛んで行くのはベラボウな料金だと思った。行きつけの漫画喫茶であれば、深夜の六時間パックでも1680円だ。

 店を出た二人を猥雑なネオンが照らす。まだ夢の中にいるようだ。

「浦島さん、どうですか。いい女でしょう。私が大枚はたく意味、分かって頂けましたか」

 頷くしかなかった。浦島は、確かに心を奪われていた。たった一時間同じテーブルにいただけの女に、確かに惹かれている。

「私は返す金を使い込んでしまいました。しばらく身を隠して金を工面します。またご縁がありましたら、一緒に来ましょう」

 亀田が夜の街に消えていく。彼は一体どうやって金を稼ぐつもりだろうか。また見つかってボコボコにされるのではないだろうか。心配ではあったが、我が身が可愛いので深入りするのはやめておこうと思った。それよりも乙姫だ。どうにかしてもう一度彼女に会いたい。

 翌日、浦島は派遣バイトの登録会に来ていた。とにかく金を稼いで、もう一度あの店に行きたかった。派遣の説明を受けたその日、時給千百円の仕事にありついた。明日から働ける。一日八時間の労働で九千円弱の収入になる。これなら二日に一度は会いに行けるではないか。休みなどは考えていなかった。とにかく金を稼いで乙姫に……、その一心だった。

 仕事は倉庫内の軽作業で、それほど大変ではなかった。両親は大喜びだった。正社員でなかろうと、暇と惰眠と穀だけを貪り、一日の大半を自室で過ごしていた息子が働き始めたのだから当然だろう。

 二日に一回、浦島は竜宮に顔を出した。たった一時間程度の時間だったが、心にはまるでアルプスの爽やかな風のようなものが吹き荒れていた。爽やかに荒れ狂っていた。

 一年もそんな生活が続いた頃だっただろうか、真面目に働いた浦島は時給も上がり、正社員の話も持ち上がっていた。残業もした。それは労働基準法なんのその程に、もう働きまくっていた。金が欲しい、というよりも乙姫に会いたい一心だった。上がった時給は乙姫の差し入れになり、好みも分かり始めたのでより一層会話が弾み、一時間が一分で過ぎてしまうような錯覚に陥っていた。

 夏の暑い日だった。いつもの様に店に顔を出し、乙姫を指名する。席に通され、水割りを舐めながら乙姫を待つ。この時間が一番長く感じる。何度来てもこの瞬間が楽しく、緊張するものである。

 乙姫が席に近づいてくる。いつもの様に浦島は話し、乙姫は微笑みながらそれを聞く。抜群のタイミングで行われる相槌に浦島は気分が良くなる。あっという間に時間が来る。いつものことであった。しかし、今日はいつものことでは終わらなかった。

「ねえ浦島さん、私、今日これで上がりなの」

 浦島の時が一瞬、止まった。というよりも、理解が追いつかなかった。どういう意味だ?これで仕事を終わって、どうするのだ。もしやこれは、俗に言うアフター?上がった時給分を溜め込んだ金は、ある。夢の時間は終わりじゃない。終了のホイッスルは、まだ先にある!男を見せるならば、ここは押しの一手だ!

「ああ、そうなんだ。じゃあ、食事でもどう?」

「えっ、いいんですか?」

 心の中にいるもう一人の浦島が飛び上がって喜んでいる。しかし表面上はあくまでも冷静に

「うん、いいとも」

軽く返事をした。日本男児たるもの、ここではしゃいではいけない。あくまで落ち着きのある紳士であるべきだ。

 会計を済ませ、近くにある喫茶店で乙姫を待った。緊張のあまりコーヒーを持つ手が震え、ソーサーがカチャカチャ音を立てる。一杯のコーヒーを飲み終わる頃、ドアが開き、ドアベルがチリンと軽やかに鳴った。待ち人の登場だ。その美人はお店にいる時のドレスと同じくらい胸元を露出したタイトな服だった。初めての私服を見た浦島は、嬉しさのあまり魂が数センチ口から飛び出していた。

 それから高級焼肉店に二人で入り、生ビールで乾杯をした。口をつけるジョッキに艶めかしい口紅の跡が残る。浦島の中に邪な気持ちが芽生えた。しかしそれをおくびにも出さずに、タンを注文し、カルビを焼き、焼酎を飲んだ。乙姫も焼かれた肉を食べ、同じように酒を飲んだ。時間を気にしなくてもいい、それは浦島にとってあまりにも至福であった。普段聞けない乙姫の仕事の愚痴を聞き、私生活であった友達との楽しそうな話を聞き、浦島は『おや、もしかして周りから見ると我々はカップルに見えるのでは』と錯覚した。美人と食事をし、酒を飲める自分を誇りに思った。今まで小汚い六畳間でダラダラと過ごしていた日常が嘘のようだ。これが男の格だ!心底からそう思った。客である立場を完全に忘れていた。しかしこの様な美人にはとんと縁がなかった約三十年である。誰がそれを責められるというのだ。

 およそ三時間、飲み、食い、語った。ラストオーダーで頼んだグラスが空になった。浦島は乙姫が手洗いに立った瞬間に店員を呼び、会計を済ませた。いつか、どこかの本で読んだことがある。スマートな男はそうするものだと。実践は初めてだったが上手く行った。乙姫が戻ってきて、浦島に謝辞を述べる。なあに、大したことないよと余裕の言葉をかけ、店を出た。

 乙姫が、少し酔い覚ましに歩きたいと申し出た。浦島が断るはずもない。ブラブラと夜の街を歩くと、いつの間にかそこはホテル街だった。浦島の心の中にいるもう一人の浦島が暴れ出す。

『おいこれはお誘いではないのか!据え膳ではないのか!この場、この時、このムードで押さずして、何が日本男子か!婦女子に恥をかかせるつもりか!』

しかし理性の浦島が出現する。

『待て!彼女は酔っているだけだ!そして酔い覚ましの為にただ散歩をしているだけだ!深い意味などあるはずがない!それに手を出してみろ!どの面下げて店に顔をだすのだ!言ってみろ!』

 理性が、勝った。
 そうだよな、気不味くなって次に店に行けない事態でも起こってみろ、それこそ生涯悔いたまま生きていかねばならない。大きく深呼吸をして、乙姫をの方を向いた瞬間、二の腕に柔らかい感触がした。乙姫が、腕に抱きつき、潤んだ目で浦島の目を見ている。
 理性はやすやすと白旗を揚げ、屈した。

 ベッドの上に正座をした浦島は、シャワーの水音を聞いている。頬をつねったりしてみた。痛い。これは夢ではない。俺はやった、あの美人を一年掛けてモノにした!込み上げてくる様々な衝動で、枕を思い切り抱きかかえてみたり、ティッシュの位置を確認してみたり、有頂天を体現していた。シャワーの音が止む。心臓が早鐘のように鳴り、脳が痺れていく。バスタオル一枚を巻いた乙姫が風呂場から姿を現した。浦島は、一瞬で衣服の全てを脱ぎ捨てた。


 翌朝、心地の良い倦怠感に身を任せ、なかなか起きようとしなかった浦島は、チェックアウト寸前まで気付かなかった。乙姫がいない。まあ色々と忙しいのだろうと思い、服を着てふとテーブルの上に目をやると、いかにも高級そうな漆塗りの木箱が置いてある。昨晩にはなかったものだ。これはつまり、乙姫から浦島へのプレゼントではないだろうか。浦島は綺麗に結ばれていた紐を解き、ゴクリと唾を飲み込んでから木箱をゆっくりと開いてみた。

 中から出てきたものは、たった一枚の紙切れであった。紙切れに書いてある文字を読み、浦島は息を呑んだ。

【請求書 乙姫一晩 金参百万円也。尚、架空請求小判鮫ファイナンスが代行支払の事】

 終わった。全てが終わった、と浦島は思った。全ては乙姫の手の平の上の出来事だったのだ。

 家に帰った浦島は、ボストンバッグに荷物を詰め、当てもない旅に出た。立つ鳥、跡を濁す。冴えない男は鶴の様になれなかった。結局、葱を背負った鴨でしかなかったのであった。
 行き先を確認せずに乗ったバスの中、どこかから亀田の下卑た笑い声が聞こえた気がした。


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2015年07月07日

【新訳】七夕伝説2 琴宮織姫は砕けない

 大きな川の畔にある一軒家に、女が住んでいた。家族と一緒に暮らしていて、女の部屋は川沿いの二階の角部屋だった。その川は隣町との境目になっている。彼女の名は琴宮織姫、二十七歳のOLである。地味めな顔立ちをした、痛み気味のロングヘアーで、セルフレームの分厚いメガネをしている。長らくパソコンと睨めっこしてきた結果の視力低下であろうか。そして小太りである。世の中に『ぽっちゃり』という表現があるが、ぽっちゃりから少し上にはみ出し気味であると思っていただければ幸いである。

 彼女は絵を描くのが好きだった。ネットでの評価は高く、その中でも男と男の愛を描いたBL(ボーイズラブ)ジャンルであった。彼女は男と女の恋愛を真っ向から否定し、自らもそれを実践してこれまで生きてきた。世の男は男のためにあり、女は女同士で仲良くしていればいいと思っていた。彼女に女性同士で睦言を囁き合う趣味はなかったが、そもそも恋愛などは自分と無関係だと思い込んで暮らしてきたので、その辺りは割とどうでもよかった。童貞や処女は、特有の考え方があり、拗らせるほどに症状が重篤化していく。彼女も現代社会が生んだ歪みの被害者なのかもしれないし、昔から普通にちょっと変わった人だったのかもしれない。

 彼女は、BL至上主義者にして重度のショタコンでもある。現在、草葉の陰からひっそりと見守っているのは鷲野彦星という小学四年生の男の子だ。小柄で色白、そして睫毛の長い可愛らしい男の子である。彦星はまさか干支が一回り以上も離れた大人の女性から観察されているとは夢にも思っていないのではないだろうか。いや、普通思わないだろう。皆様方、引くのはやめていただきたい。筆者としてもさすがに九歳児に性的興奮を覚える三十路前の女性の恥部をつらつらと書き綴るのは些か辛いものがある。それに、織姫は今年で二十八歳になる。業は深まるばかりだ。しかし、ここを説明しておかねばこのお話が成り立たなくなってしまうので、ここは心を冬の海岸で冷やした鉄のように冷静に説明を続ける。

 彦星は市民プールで行われるスイミングスクールに通っている。織姫は同じプールを区切った別のレーンで水中ウォーキングをする。それも分厚いメガネを脱ぎ、コンタクトレンズを着用してまで彦星の裸を見たかった。そして彦星の帰り道を後ろからひっそりと付いていくのである。勿論、彦星が家の門をくぐるまで、である。以前、尾行時に自分のスカートがパンツの裾に挟まって、下着丸出しの状態で町内を駆けまわっているところを住民に見つかり、町内の回覧板に『三十代くらいの女が下着を丸出して鼻息荒く町内を徘徊していた』と書かれてしまい、防犯の目が厳しくなった。織姫と彦星の住んでいる町は隣なので、織姫がこの回覧板に目を通すことはなかったが、尾行時、明らかに人が大人が増えた。そして大人は子供に「こんばんはー」と声をかける。「あ、これは何かあったな」と織姫は言葉ではなく心で理解した。

 それからというもの、帰り道に見送ることはできなくなってしまった。しかし、琴宮織姫は諦めない。川沿いの二階にある角部屋から隣の町を双眼鏡で見渡している。チャンスは自分で掴むものなのだから。


 そして、好機は訪れた。七月七日に彦星の住む町の神社で七夕祭りが行われる。小学生の男子は祭りが好きである。正確には祭りの屋台が好きである。焼きそば、たこ焼き、ベビーカステラ、りんご飴、焼き鳥。食べ物だけにとどまらず、金魚やスーパーボールを掬ってみたり、コルクの玉で景品を狙ってみたり、小学生が思いつく『楽しい』を全て内包した催しだ。彦星も行くに違いない。行くかどうかを調べる術はない。ならばどうするか、答えは一つ。張り込みである。

 七月七日、織姫は有給休暇を取得した。小学四年生を見るために有給を取る女。織姫は世間からはどの様に見られるのだろうか。しかし織姫にとっては一大事だ。夏と冬の年に二回、海辺の大会場で必ず行われるあのイベントよりも大切だった。同人誌と違って生身の人間である。動くのである。温もりもある(触ったことはないが)もしかしたら、お話ができるかもしれない。もしかしたら手を繋げるかもしれない。皆様方、何も、何も言うまい。これが彼女の選んだ道である。かの有名な詩人、相田みつを氏も仰っていた。『幸せはいつも自分の心が決める』のである。

 七月七日、小学校の下校時刻を狙って、織姫は『鷲野』という表札の掛かった厳つい門の近くのコンビニで張り込みをしていた。片手にはエナジードリンク、片手にはデジタルカメラ、傍から見た彼女は一体どんな風に思われるのであろうか。エナジードリンクで脳を活性化させていると、お目当ての彦星が下校してきた。彦星は半ば駆け足状態で門をくぐり「ただいまー」と大きな声で帰宅を告げていた。織姫は興奮によって促される発汗でずり落ちてくるメガネを何度も掛け直しながら彦星が出てくるのを待っていた。興奮して若干息が荒くなっている。コンビニのゴミ箱の片付けをしてきた店員が怪訝そうな顔で織姫を見ていた。しかし彼女にそんなことは関係ない。琴宮織姫は砕けない。

 エナジードリンクを飲み終わる頃、太陽が西に傾き、東から夕暮れがやってきた。一番星、二番星と星が主張を始め、空が橙から紺色に変わり始めた。天の川が綺麗に見える。
「行ってきまーす」
元気な声が聞こえた。彦星の声だ。門から出てきた彦星は、なんと浴衣を着ている。織姫は心の中でガッツポーズをした。というか小さな声で「よっしゃ!」と呟いていた。今夜は七夕祭り、彼女の心もカーニバルだ。

 神社までは、彦星の家から歩いて五分ほどだ。ひと気はまばらだが、交差点が三つあり、尾行するにはなかなかの好条件である。缶をゴミ箱に叩き込み、織姫は尾行を開始した。

 懐かしい感覚が蘇る。去年まではスイミングスクールの帰りにこうやって二人で無言の共同作業を行っていた。やや一方的な感じではあるが、彼女の中では間違いなくそうであった。あの時の感動が再び蘇る。織姫は嬉しさのあまりおしっこを漏らしそうになったが(嬉ション)また監視の目が厳しくなっては困るのでググッとこらえた。

 神社に入ると、美味しそうな匂いが立ち込めていた。何かを鉄板で焼く音も聞こえてくる。威勢のいい声が雑踏の中を貫いていく。裸電球で照らされた食べ物はどれも神々しく見える。屋台の合間には赤い提灯が並んでいて、一つ一つが儚げな蛍の光のようにぼんやりと灯っている。きっと、上から見下ろせば地上の天の川に見えるに違いない。

 彦星は友達数名と合流していた。何やら笑ったり小突いてじゃれあったりして大変楽しそうである。屋台の隙間からは左手に焼きトウモロコシを持ち、右手にナイトモードに設定したデジタルカメラを持つ女。織姫である。完全に不審者の体でしか無いが、祭りと言うのは実に大らかなもので、妙な人間が一人や二人いた所で誰も気にしない。筆者も祭りの屋台の雑踏の中、夜にもかかわらずサングラスを目と額と頭に三つ装着しながらヨタヨタとボックスを踏む人間を見たことがあるが、誰も気にしていなかった。そういうものなのである。

 織姫の手にするデジタルカメラの容量は高利貸しの金利をも遥かに凌ぐ勢いで倍々に増えていく。プロのカメラマンはシャッターチャンスを逃さないというが、織姫にとって彦星は全てがシャッターチャンスなのだ。最早チャンスそのものと言っても過言でないだろう。このチャンスの塊を一瞬たりとも逃すことを潔しとしない織姫はデジタルカメラを動画モードに切り替えた。三十二ギガバイトのメモリーカード容量はみるみる埋まっていく。だが問題はない。何故ならメモリーカードはあと四枚ある。替えの電池もバッチリだ。何がバッチリなのかはよくわからないが、とにかく抜かりは無かった。

 急に彦星が友達と別れた。勿論織姫は尾行した。どうやらトイレに向かっているようだ。そこで織姫は戦慄した。夜、可愛い男の子、トイレ、祭り、柄の悪い男、これはレイプの危険しかない。どう考えても、十中八九、いや十中十二くらいレイプしかない。もしも柄の悪い屈強な男に浴衣を無理やり肌蹴させ、尻を狙われたら…。妊娠してしまうかもしれない!パパは小学四年生!いやでも待てよ、それはそれでとてもいいのでは…?織姫の性的趣向は様々な方向にむけて張り巡らされたアンテナでウィンチェスター・ミステリー・ハウスの様に拡張工事が毎日行われている。そのせいで本人にも何が何だか分からず、とにかく彦星であれば全てに興奮してしまう。もうこの女は割と駄目なのだ。気がつけば織姫の鼻からは大量の血がほとばしっていた。これはさすがにヤバいと思った織姫はトイレの手洗い場で洗うことにした。

 そのトイレは男女別ではあるが、手洗い場は共用になっている。これなら尾行も続けられる。ササッと洗い流してしまおう、と思った織姫がハンカチで鼻を押さえながら手洗い場に向かうと、彦星がトイレから出てきた。アッ!と思ったのも束の間、彦星は織姫に話しかけた。

「血が出てる!大丈夫ですか?」

織姫は卒倒しかけた。鼻血が勢いを増した。全身の毛穴が開き、冷や汗が滝のように流れる。間近で見ると、なんという可愛らしい男の子なのか。しかし今はそれどころではない。見つかってしまった。逃げなければならない。なんと答えよう。

「ヒ、ヒヒ、だ、大丈夫、れす」

噛んだ。そのくらい緊張していた。
「大丈夫じゃないですよ」

なんと、彦星は腰から下げていた手ぬぐいを手洗い場で水に濡らし、織姫に渡したのだ。

「あ、ありが、とフフフ!」

織姫は卒倒しそうだった。鼻からハンカチを離して手ぬぐいを受け取ろうとした時、彦星が一瞬手を引っ込めた。

「もしかして、いつもプールにいるお姉さんですか?」

なんということだろう。織姫は既に彦星に認識されていたのだ。

「そ、そそそう、れす」

織姫の呂律が怪しいのは鼻を押さえているせいではなく、興奮によって上がりすぎた血圧のためである。

「お姉さんが毎回プールにいることをお父さんに話すと、お父さんは言ってました。『自分で決めたことを続けられる人間は偉い』って。お姉さんは偉い人なんですね」

織姫は目を見開いて、酸欠の金魚のように口をパクパクさせていた。

「友達が待っているので、もう行きますね。手ぬぐいはあげます。家にいっぱいあるから。それにお父さんが『困っている人は助けなきゃ駄目だ』って言ってました。またプールで会いましょう。さようなら」

小走りで遠のいていく彦星を眺めながら、織姫は鼻血を噴水のように吹き出してぶっ倒れた。

 這々の体で家に辿り着いた織姫は自室に駆け込み、机を片付けると彦星から貰った手ぬぐいを置き、自身は床に正座し、一礼した。それから恐る恐る触ってみて、匂いをかいだ。なんともいい匂いがする。いつの間にか織姫は泣いていた。認識されていた事が嬉しかったのか、手ぬぐいを貰ったのが嬉しかったのか、褒められたのが嬉しかったのか、感情が入り混じってよくわからないまま泣いた。泣きながら撮り溜めたデジタルカメラのデータを再生し、手ぬぐいでマスクのように鼻と口を覆い、ペンタブレットで絵を描いた。彦星そっくりの可愛い男の子が、これまた「ドンペリニヨン」等と低い声で囁きそうな美男子と裸で抱き合っている絵である。それをpixivにアップした織姫は、そのまま気絶するまでオナニーに耽った。救いようのないカス、そう言われるにやぶさかでない行動だが、彼女にとってそれはセックスだった。やや一方的なセックスであった。

 次のプールで会った時、話しかけても大丈夫だろうか、とかアブナイ事を考えながら琴宮織姫の七夕の夜は更けて行くのであった。


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2014年08月22日

沖縄旅行記

4月の末に沖縄に行ったことを書こうと思う。
何故、今、8月に、あえて、なのか。
それは俺が先月誕生日を迎えて、節目を感じだからだ。
旅行というのは、一種の節目でもある。俺の旅行というのは、大体はツーリングで、一人で目的地も決めずに走り出す。日程や時間もあまり考えていない。経験としては体に残るが、記憶として脳には残りにくい。
目的地が決まり、メンバーが決まり、日程が決まり、時間が決まり、そこに『旅行』という概念がデデンと姿を現すと、俺はその概念を形作る一つのパーツになる。普段好き勝手に生きている俺にとって、これは盛大なイベントであり、節目になる。
まあ、そんな話だ。

メンバーは俺を含めて四人。
肉欲棒太郎 http://2949.seesaa.net/
斉藤アナスイ http://anan-ann.cocolog-nifty.com/blog/
0次郎 http://zerojirou.blog.fc2.com/

二泊三日の国内旅行だが、目的地は海の向こう。
俺にとって初めての土地、沖縄だ。
空港に向かうも、あまり来たことがない場所なので集合場所には大いに迷った。集合場所であるプロントに入る。カウンターでビールを注文し、席に向かった。
四人で軽く一杯やっつけて、搭乗手続きに向かう。

飛行機の中では本を忘れてぼんやりと過ごした。
しかし目的地が近づいてくると曇り空ながら、綺麗な海が見えた。

到着し、まずは飯を食う。食堂のような所で食べたソーキそば、美味かった。

その後は宿泊地に向かい、まずは部屋で乾杯する。
缶が一本空き、二本空き…、そんな中流れ始める

「今日はもうこのまま飲んでればいいんじゃね」

という空気。肉欲氏は「もうこのままなんくるねえ感じでいいんじゃねえか」と言い出す。
確かに俺にとってもその案は魅力的である。
しかし今回は駄目だ。何より初めての沖縄であるし、実は彼と大阪で飲んだ際に似たようなことをした経験がある。

「明日は京都まで観光にいこうか!ガハハ」

と言ってそのまま深酒になり結局行かなかったことが二回ほど、ある。
おまけに行かないと決めた日は朝から深酒をしてしまっていた。
二の舞いは避けなければならない。

自分たちの尻を叩いて首里城に向けて出発する四人。

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首里城に向かい、観光をする。修学旅行生がわんさかいる。若さが、眩しい。いつから俺は『こちら側』に来てしまったのだろう、と思う。自分は若いつもりでいても、客観視できる指標のようなものがあると、自分の立っている場所を考える。

「ちょっとトイレに」

「おや、首里尿かい?」

「遅かったね。セン首里でもこいてた?」

我々は大人である。このウィットに富んだ会話を見よ。おいそれと中高生が手出しできるようなネタではない。むしろ中高生向けのネタかと思われるが、ゆったりとした会話から一周回って繰り出されるこの感じ、明らかにオジサンのそれである。

その後、景色のいい道を眺めながら片手にはビールといった風情ある格好で沖縄の自然を楽しんだ。

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結構な距離を歩いたので腹が減る。沖縄といえば豚である。手近な豚料理屋をサーチしたが、途中から

「もう焼肉行けばついでに豚を食えるだろう」

という真理に近づいたので、焼肉屋へ入った。

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肉の盛り合わせと丼飯を食い、腹が膨れた所で宿に戻った。

戻ってからも飲酒は続く。酒飲みが集うと夜こそ旅の本番になる。そこかしこで響く缶ビールの封切り音、プシュッという小気味いい音が我々の疲れを癒してくれるような気がした。

沖縄である。日本の最南端であり、歴史的にも重要な地、さらに観光の名所である。
何故我々の前にタブレットが鎮座しており、そこからロシア風のオープニングテーマ曲が流れているのだ。肉欲氏は持参したタブレットでキルミーベイベーを垂れ流していた。
0次郎氏が異を唱える。

「なぜ沖縄に来てキルミーベイベーなのか」

しかし肉欲氏はどこ吹く風であり

「あえて、あえてのキルミーだ」

たっぷり30分、ロシア人殺し屋女子高生の日常を見た。
酔いとは恐ろしい物で、始めは疑問符ばかり浮かんでいたアニメ鑑賞も、途中から見入ってしまった。
「やはり折部やすなはウザかわいい」
そう思わずにはいられなかった。

ちょうどアニメ鑑賞も一息ついた頃には0次郎氏は寝息を立てていた。俺と肉欲氏が昨今のアニメ、漫画について熱く意見を語り合っていた時、轟音が鳴り響いた。雷である。それに伴う雨は東京で味わうゲリラ豪雨を凌ぐ勢いで降り続いており、この時所用で出ていたアナスイ氏を安否を案じた。
しばらくして濡鼠で戻ってきたアナスイ氏は

「沖縄なんて、ろくなもんじゃねえ」

と独り言ち、風呂に直行した。観光地でアニメに興じる我々も、ろくなもんじゃねえ、と思った。


二日目である。曇天の空、霧雨の降る中、我々は美ら海水族館を目指す。肉欲氏の手配したレンタカー会社は迎え付きで、宿まで車で迎えに来てくれた。悪天候時には非常に助かる。

ここからは数時間のドライブだ。車内にはアイドルマスターの曲がかかり、非常に穏やかな時間が流れる。
しかし突然にしてその平穏は打ち破られた。

「返せ!沖縄を、返せ!」

「帰るさー!米兵は帰るさー!」

どうしてこうなったのであろうか。
俺は高速道路の上でハンドルを握りながら、沖縄の海を眺めて考えた。
まあ、いいじゃないか。米兵は帰るさー。


美ら海水族館に到着して驚いた。あまりにも建物がデカい。
逆に気持ち悪いくらい大きい。人も多い。平日なのに普通の観光地とは比べ物にならないくらい人が多い。沖縄の底力を見た気がした。入館すると、肉欲氏がダッシュでトイレに向かう。何かしらの酔いが彼を蝕んでいたのであろう。後で合流するとのことで、アナスイ氏、0次郎氏と共に入口付近にあった触れ合い水槽的な場所で遊ぶ。
生まれて初めて生きたナマコを触ったが、あまりの妙ちきりんな感触に「ヴァー」と声が出た。続いて両名もナマコに触れていたが、同じく「ヴァー」と声が漏れていた。どうやら生きたナマコを触った時に出る声は人類共通であるようだ。
その後はアナスイ氏が悪ふざけでヒトデを重ね、係員のお姉さんにやんわりとお叱りを受けるという我々の中ではある種王道のパターンを経て合流。

美ら海水族館目玉のジンベエザメである。デカい。若干精神が不安定になるくらいデカい。しかしこれがまた可愛いのである。ゆったりと水槽を巡回するジンベエザメには、どこか気品すら感じられる。

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ドデカイ水槽の目の前にあるフードコートでタコライスなどを食べ、腹を膨らませた後はイルカ、カメ、マナティなどを見学した。海の生き物は皆のんびりと動いており、心の安定が保たれた。
マナティを初めて見た感想だが、アレを人魚と見間違えた先人は恐らく極度の精神疾患患者であり、なるべくなら関わりたくない人種だなあと思った。

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小雨止まぬ中、四人は車に乗り込み宿に向かう。ちょっとした離島の民宿だ。人懐っこい犬(名前は忘れたが、個人的にラッキーと呼んでいた)が可愛かった。

荷物を宿に置いて、飲みに出る。途中、ひなびた文房具屋に入り、レジ付近にファミコンの2コンのみが置いてある品揃えに驚愕したりしながら楽しく過ごした。
沖縄は4月でも陽が長いのだなあと実感した日だった。

宿に帰ってからは再び酒盛りを開始し、アナスイ氏がラッキーを部屋に連れてきた。ラッキーは非常に愛想がよく、酔っ払った面々に撫で回されても嫌な素振りを見せず、むしろもっと構ってくれと言わんばかりに横になった肉欲氏の顔を踏んづけた。

宴もたけなわ、そろそろ寝ようかというところで、0次郎氏が隣の部屋に行く。
その宿はアパートのように外から玄関を経て部屋になっている。外で煙草を吸っていると、アナスイ氏がスマホで沖縄っぽい音楽を鳴らし、踊りながら0次郎氏の部屋に闖入していく。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、ということで俺も見習い、二度目の突撃。

0次郎氏の見解はこうである。




沖縄らしく人の思い出に残れたなら何よりだ。


三日目である。天候に恵まれず、青い海を拝んでいなかったが、この日は若干の晴れ間が見えた。といっても太陽が出るというより雨の切れ間と言ったほうが正しい。しかし、この機を逃すと海を見ないまま沖縄を後にすることになる。車を走らせ、海の近くの公園に向かった。

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海はもう遊泳区間ができていて、初夏を感じた。曇り空ながら、沖縄の海はやはり青かった。

することをひと通り済ませ、手持ち無沙汰になったので早めに空港に向かい、おみやげを眺め飯を食い酒を飲む。飛行機までは随分時間がある。

飛行機の時間は20:30だったが、俺は違和感があった。今回の旅行は事前にも何度かメールで連絡を取り合っていた。前にもらったメールで18時台の飛行機だと書いてあったような気がしたのだ。

確認すると、飛行機は18:45だった。
時計は18:15を指している。走った。三日目のメロスくらい走った。
セリヌンティウスが待っている。走って走って、衣服が脱げてしまったことにすら気付かず走った、というのは言いすぎだが、走った。
結果、ゲートが開く8分前には到着し、悠々と一服したり飲み物を買うことができた。
楽しかった3日間は、このような形で幕を閉じた。
さらば沖縄。また会う日までごきげんよう。


節目というのは、思い立てばいつだって節目になる。誕生日、月初め、朝起きた時、それには個人差があって、それでいい。
俺は旅行を節目と考える。次はいつだろうか。それはわからない。
わからないが、いつかまたと思える節目があったことを、俺は忘れないと思う。


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2014年05月07日

マッサージ

今日は方向性を変えてマッサージについて書きます。というか方向性も何も更新してねえじゃねえかボケと思われた方、そんなに俺のことを見てくださってありがとうございます。好きです。来世で結婚しましょう。

とまあ、マッサージです。普段お金がないと言っている俺ですが、マッサージに行きます。エロいやつじゃなくて、60分3000円くらいの安いやつです。体がかなりポンコツなのでこれをしないとパフォーマンスが30%くらいに低下してしまうのです。人との会話もままならなくなり「婚前交渉」としか喋れなくなるのです。
嘘はこのくらいにしておきます。

ポンコツなのは本当なので、マッサージに行きます。安ければどこでもいいというわけではありません。
個人的に3つに分類して、その時の体調によって使い分けています。


まず一つ目。
中国式です。あくまで俺の分類ですので参考までに読んでください。各店で方向性や内容はまちまちです。
中国式は筋肉をほぐします。凝った筋肉を掴んだり引っ張ったり肘でゴリゴリしたりして、とにかくほぐします。おそらく(本当に俺の個人的考えです)中国式は血流ということを重要視してます。
血流が悪くなるのは筋肉が硬くなるからです。筋肉が硬くなるから血流が悪くなるとも言えますが鶏と卵の話は置いておきます。肩や首がこっていると思う人は、これが思った以上に効きます。やってもらっている途中から施術箇所が暖かくなるのがわかるはずです。


2つ目いきます。
日本式です。俺が日本式と呼んでいるマッサージは、筋を押します。簡単にいえば指圧に近いです。中国式となにが違うんだボケと思われた方、傷つくからやめてください。今から説明します。
両者では『痛み』の質が違います。
中国式は体の外部が痛いです。直接硬いところを力づくで揉むのですからそりゃまあそうでしょう。
日本式は内部が痛いです。筋というか神経を押されている痛みです。目が疲れて頭が痛い、坐骨神経が痛い、そういう時は日本式のほうが効く気がします。
ウィキペディアの指圧のページを見てもらうと、そこに原則という項目があります。


原則

押圧する際の原則として垂直の原則、持続の原則、集中の原則がある。

・垂直の原則

皮膚面に対して垂直に加圧していくことで
皮膚面を擦過することによる圧痛をださず、無駄な力の分散を防ぐ。

・持続の原則

一定強度に押圧した圧を緩めずにそのまま一定時間持続する。
押圧の持続により圧が深部まで届き、圧の持続時間により
興奮目的や鎮静目的など目的を変化させることが出来る。

・集中の原則

術者が精神を集中させて行う。それにより不注意による事故を防ぐ。また、患者の意識や状態を集中して感じ取ることで適切な治療を行うことが出来る。

(ウィキペディアより)


ほぼこれと似たような感じです。俺の解説、まったく意味無いですね。

どちらが優れているか、これは痛みの質、個人の好み、施術者の腕で恐ろしく左右されるので簡単に言えることではありません。
さっきも少し書きましたが、日本式のほうが神経系の疲れや痛みに効くような気がします。
中国式は全身の怠さや重さに効くような気がします。
即効性は中国式です。特に足の、もっと言えばふくらはぎ、外腿、大殿筋あたりが辛い人は試してみるといいかもしれません。ベッドから立ち上がった時に足の軽さがわかると思います。
日本式ももちろんすぐに体でわかるのですが、筋肉をガンガンほぐして血液を送っていく中国式とは効き方が違います。もちろんどちらも楽になります。


そして3つ目。
接骨院です。
おいおい方向性違うんじゃねえか?と思われた方、そうです。ちょっと違います。
接骨院は医業類似行為に分類され、医療機関とは異なりますが保険が適応されます。しかし、ここでお話するのは接骨院の保険外マッサージです。
まずこれ、やっているところとやってないところがある。俺は腰を痛めて通っていた接骨院でやっていたので見つけました。頼めばどこでもやってくれるのかもしれません。わかりませんので聞いてみてください。それかやっているところを探してください。あなたの眼の前にある箱はパソコンといって調べ物もできるのですよ。
強さや方向性なんかはそれぞれなんでしょうが、俺の行っている接骨院に限って言えば、筋肉がねじ切れたかと思うくらい痛い。これは、効きます。余談ですが俺はちょっと泣きました。



ざっくりと3つの分類に分けて説明しましたが、共通の注意があります。
それは施術者が男性か女性かということです。

これも分類と同じようにどちらのほうが効果的か、などの違いではありません。
単純に力のかかり具合が変わってきます。

男性の場合、女性と比べて力が強いです。そしてマッサージに使う部位が女性よりも大きいです。
例えば指。男性の方が太いです。例えば手のひら。男性の方が大きいです。
つまり同じ力で押しても圧力が分散します。なので、特定の筋肉に広くじんわりと広がります。

女性の場合、男性と比べて力が弱いです。しかし、マッサージに使う部位が男性よりも小さく、細いです。
例えば指、手のひらも小さいです。
つまり押したときの力が凝縮します。なので、狙ったところの奥までガツンと届くような感覚があります。
人体でも筋肉の多い脚では筋まで届いている感じがします。

押すときに体重が掛かると、その差はより顕著に現れます。
好みの違いですので、どちらが効くかとは言えません。
男性の方が『ズシッ』とした感じがして、女性の方が『ピリッ』とすると思います。
中国式の場合は拳、肘、場合によっては膝なんかも使うので何にせよ痛かったりするのですが。


ざっくりと紹介しましたが、まとめに入ろうと思います。

・マッサージ店には系統ごとの特色がある
・施術者には男女差がある
・何にせよ痛い

俺が言いたかったのはこの辺りです。


文中で何度も『参考までに〜』『気がする〜』と書いていますが、これらはあくまで感覚的なものですから参考程度にとどめてください。あなたの体がどうなっているか俺は知らないし、俺が痛いと思っている箇所はあなたにとって痛くない場所かもしれません。

とにかく体は大切にしてください。
なにせ来世は俺の結婚相手になる人もいらっしゃると思いますから。
もしよろしければ、この世で婚前交渉を行いましょう。


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2014年01月22日

【新訳】かぐや姫

 私が彼女と出会ったのは、まだほんの幼いころの話だ。その頃の私は家族のみならず、親戚中の愛と期待を一身に受けて暮らす男の子だった。かわいさもなかなかのもので、そこらの子供なぞ裸足で逃げ出すレベルだったと思う。だから尚の事、私のかわいさを一足どころか二足も三足も飛ばして先にいた彼女と出会った時のインパクトが忘れられないのだと思う。

 母の実家に出かけた時のことだ。結構な山奥にある母の家は資産家だかなんだかよくわからないが、どうやら唸るほどの金を持っていて、家から見える山は全て手中に収めているとぶっ飛んだ噂が立つほどの大邸宅だった。後の祖父の話によると、「全てなどとんでもない! せいぜい八割がいいところだ」とのことだった。とんでもない話である。

 その日は親戚が一同に会するイベントがあったらしく、私は早々にむくれていた。同年代の子供がおらず、構ってくれる大人が皆座敷に集ってしまい、することがなかったからだ。聞き耳を立ててもしんとしている。私は一人で庭に飛び出し、散策をすることにした。ただでさえ広い敷地だが、五つだか六つの私にはまるで宇宙のように広かった。

 その宇宙の片隅に、孟宗竹の林があった。ご存知の方もいらっしゃるだろうが、竹林は雑木林よりも暗い。この竹は他の木とは比べ物にならないほど早く、長く伸び、上の方で葉を伸ばす。植物が生存競争に勝ち残るには日光をいかに多く浴びられるかが肝要だが、それに特化した結果と言える。私は竹林に足を踏み入れた。

 薄暗い竹林を歩きながら、私の気分は高揚していた。それでなくても幼いころはいつでもテンションが高めであったと記憶している。これは私だけではないだろう。好奇心が暴れ回り、私も竹林で暴れまわった。そして、迷ったことに気付いた。

 先にも書いたように、私は非情に愛らしい子供だった。愛らしい子供が同時に利発であるというのは、かの有名な竹取物語が書かれたと言われる平安時代より遥か以前から真理として定められており、私も多分に洩れず利発であった。利発らしさを十分に発揮した落ち着きを見せ、あたりを見回して、愛らしい顔を歪めて少しだけ大泣きした。だってそうだろう。薄暗い竹林は怖いのだ。

 五分ほど泣いた頃だっただろうか。どこからかガサガサと落ち葉を踏み鳴らす音が聞こえた。私は縮み上がり、音の出処を探ろうとしたが固まってしまった体は動かない。

「どうして泣いているの?」

その声は上等な布が首筋を撫でた時に聞こえるような、滑らかで優しい声だった。あまりの優しさに、私の体は落ち着きを取り戻し、声の主を探して周囲を見渡した。
 女の子だ。黒髪のおかっぱで、透き通るような白い肌にぱっちりした目をしていた。睫毛はまばたきをすると音が出そうなほど長く、色素の薄い瞳は私の心の中を覗いているような気がした。しかしその感覚は決して不快なものではなく、何故か暖かみを伴う不思議な感覚だった。

「どうして泣いているの?」

細い体から発せられる声は、優しさの底にしっかりとした土台を持ち、少女とは思えない完成された女性を思わせた。

「一人で遊んでいたら迷子になっちゃったんだ」

少女は微笑みを浮かべ、私に近づく。微かにいい香りがするが、何の匂いであるかは判断がつかない。お香でもなく、また少女特有の甘い香りでもない。

「なんだ、そんなことか。おいで、私が連れて行ってあげる」

差し出された右手を掴み、二人でゆっくりと家に帰った。

 座敷で行われていた親戚の集いも終わったようで、障子戸は開き、各自がお茶を飲んだり煙草を吹かしたりして過ごしている。祖父が私達を見つけ私を呼ぶ。

「タケ、どこ行っとったんだ」

大きな声だが怒っている訳ではない。元々声が大きいのだ。体が大きく豪快な人で、笑い声も大きく、泣き声も大きい。酒に酔うと何が悲しいのか大声で泣くのだ。

「おお、お前も一緒だったか」

私の手を握っている女の子にも笑顔を見せ、それから小さく手招きした。

「皆の衆、これがさっき話をした子じゃ。ほれ、みんなに挨拶せい」

女の子は私の手を離して小走りに祖父の側に向かい、小さくお辞儀をした。

「こんにちは。私は、奈代と言います。よろしくお願いします」

 それが、私と彼女の出会いだった。


 彼女は孤児で、年は私の二つ上だった。両親を事故で亡くし、施設に入れられそうになったところを祖父が引き取ったらしい。どのような経緯で引き取ることになったのかはわからないが、祖父の笑顔をみていると、決して後ろ暗い理由ではないと思う。
 幼い私は姉ができたように喜んだ。私は一人っ子で、祖父の家程ではないが田舎に住んでいる。学校も一学年で十人ばかりしかいない小さなものだ。純粋に友達が増えたようで嬉しかったのもある。その他の親戚連中がどう思ったのか、今となってはわからないが言い出したら聞かない祖父のいつものわがまま程度に思っていたのではないだろうか。彼女が当時の事を私に語ったことはない。だからそう信じる他ないのだ。

 成長に伴い、彼女の不思議な美しさには磨きがかかっていた。初めて会った時に感じたイメージそのままに、まるで人形が生命を得たかのように人間離れした美しさだった。しかし性格の方は外見と全く反対で、男まさりで思い切りの良い、さばさばした物言いと行動だった。そして勉強ができて物覚えも早いのに、どこかちょっとバカだった。

 中学生の頃だっただろうか。彼女は祖父の家の納屋からよく切れる鉈を持ち出し、私と出会ったあの竹林のから一本の竹を切り出して、大人の背丈よりも長い槍を作った。それを振り回していた。一体何をしているのかと尋ねると

「もしもの時のために体を鍛えているのよ。山奥だから警察もすぐには来られないしね」

と笑いながら答えた。私はなにか違うような気がしたが、そうかと言って見ていると彼女は予備の竹槍を私に寄越し、日が暮れるまで一緒に槍を振らされた。

 またこんなこともあった。彼女が暮らしているのは山の中で、娯楽に乏しい。あるのは広大な山だけだ。学校までは車で送り迎えをしてもらっていたが、帰って来てからはすることがない。そこで祖父にねだってマウンテンバイクを手に入れた。山道を走り回るようになった。それだけでは物足りず、並みの男では尻込みするような急斜面を駆け下っていた。祖父は知っていたが、「元気で結構!」と笑っていた。

 ある日、乗っていたマウンテンバイクの前輪が吹っ飛んだ。毎日毎日酷使されれば、金属だって疲労くらいする。そのまま投げ出された彼女は流れの緩い川に落ちたので幸い怪我はなかったが、落下地点から百メートルほど下流で畑仕事をしていた近所のお婆さんに発見された。ぷかぷかと流れてくる彼女に慌てて駆け寄り、どこか痛いのか、泳げないのか、大丈夫かと問い詰めるお婆さんに彼女は「火照った体に水が気持ちよかった」と答えて呆れさせた。

 そんな彼女が祖父の納屋に埃を被っていたあれを見つけるのは必然だったのかもしれない。祖父が昔乗っていた、オフロードバイクだった。祖父はマウンテンバイクの時のように「乗るなら装備をきちんとしろよ!」と笑いながら言い、装備一式を買い与えた。彼女はまだ十五歳で免許がないが、土地は売るほどある。私有地は免許がなくても運転できるのだ。おもちゃとしてはぴったりだった。マウンテンバイクからオフロードバイクに乗り換えた彼女は、山の中を走るようになり、急坂を駆け下り、また駆け上がったりした。時々転んでぶっ飛んだり、そのまま川にぷかぷか浮かんだりした。


 高校生になり、普通二輪免許を取った彼女は公道でもバイクに乗るようになった。どこから引っ張り出してきたのか、古いスポーツバイクに乗り通学に使っていた。一度後ろに乗せてもらったが、笑ってしまうくらいの加速に汗も凍るようなカーブ、初めてのことに驚くばかりだった。ミラー越しに見えた彼女は、微笑みながら前を見つめていた。

 私も高校生になり、すぐにバイクの免許を取った。先輩からもらった125ccの小型バイクだったが、不満はなかった。小さいものは大きくする夢がある。楽しみは先に取っておくものである。彼女はスズキの古いGSX-R400Rというスポーツバイクに乗っていた。いつか新しいバイクを買うときに、彼女よりも大きなスズキのバイクを買って驚かせてやろう。そう思っていた。バイクという足ができ、行動範囲の広がった私はアルバイトにも精を出していた。いつか来るその時のために。

 彼女とはたまに一緒に走り、乗り方を教えてもらったりした。

「タケが転んで怪我しちゃったら困るもんね」

そう言って笑っていた。いつもは遅い私の後ろを走ってくれるが、前を走る時、彼女は風だった。鋭い排気音をだけを残して、そのままどこかに飛んでいってしまう気がした。


 彼女が高校を卒業して、大学に進学した年のことだった。祖父が急に体調を崩して入院したのだ。幸い大事には至らず、入院も一週間程度で済んだ。しかし、祖父ももういい年である。もしもということがあっては困る。特に困るのは彼女の身の振り方だ。大学生なのだから、一人で生きていけないということは断言できないが、両親もいない彼女には少し寂しすぎる。

 ある日、親戚中の人間が祖父の家に呼ばれた。まるで幼い頃のあの日のようだった。みんなを座敷に集めた祖父は

「奈代を幸せにできる男を探して欲しい。儂の目の黒いうちに、婚約をさせようと思う」

強い意志のこもった声だった。私は、来る時が来たかという想いだった。姉弟のように仲良くしてきた。そして、いつかは彼女が嫁に行くこと、自分の気持ちを彼女に伝えられないこと、理解していた。理解はしていたが、胸が少し痛んだ。

 慌てたのは探してくれと頼まれた人々である。美しく、また気立ても(男勝りだが)良いこの奈代に釣り合う男を探すのは大変だぞと口々に弱音を吐いた。名乗りを上げる男は多いものの、祖父の眼鏡にかなわない。
 三ヶ月が経った頃、ようやく四人の男が出揃った。一流企業勤務や自ら事業を起こした者、そしてまだ三十路前の者達で、力がみなぎっている。容姿も優れていて、そのまま雑誌の表紙を飾れそうな四人だった。弟分ということだけで顔合わせの会に引っ張りだされた私は、このぶんなら誰を選んでも心配あるまいと思っていた。祖父も同じだっただろう。しかし彼女の突飛な提案で、安心は吹き飛んだ。

「私のためにと言ってはおこがましくもありますが、お集まり頂きありがとうございます。どの方も素晴らしい方ばかりで、どなたが優れていて、どなたが劣っているということはまずないでしょう。私には決めることができません。なので、私が欲しいと思っているものを頂けた方を選ぼうと思います」

 何を言っているのだこのお転婆は。並んだ男性四人も驚いている。しかし、そこはさすがの男たちで、一人が口を開いた。

「わかりました。それなら遺恨もない。幸い私達は、あなたのある程度の望みなら叶えて差し上げられる者達ですし、またそれだけのことをしてもあなたを射止めたいと思っている」

「ありがとうございます。私がバイクというものが好きなのは、既にご存知かと思います。そこで、それぞれの方に一台ずつバイクを手に入れて頂きたいのです」

一同がごくりと唾を飲みこむ。

「ケビン・シュワンツ、エディ・ローソン、ワイン・ガードナー、ウェイン・レイニー。モーターサイクル史に名を連ねる彼らがロードレース世界選手権でワールドチャンピオンになった時に乗っていたバイクを手に入れて頂きたいのです」

全員が唖然とした。お金を出せば買えるものではない。それこそ博物館に並んでいるような代物である。さすがに祖父が口を挟む。

「おい奈代、いくらなんでもそれは」

「手に入れて、頂きたいのです」

きっぱりと言い切った。私はこれまで彼女はちょっとバカだと思っていたが、誤解だった。完璧なバカだった。


 解散した後に、祖父がため息混じりに言った。

「できそうもないことばかりを言って、どういうつもりなんだ」

彼女はケロリとしている。

「そんなに難しいことでしょうか?」

祖父の一層深い溜息が聞こえた。


 それから一ヶ月経ち二ヶ月経ち、三ヶ月経った頃、ようやく一人が顔を出した。開口一番に

「奈代さん、申し訳ありません。私には無理です」

「そうですか。あなたで最後だったのですが、残念です。他の方はお手紙で無理だとご連絡を頂きました」

 肩を落として帰っていく姿が見える。私は気の毒に思ったが、願ってもいないことだと思った。
 その後、再び祖父が再び倒れるまでは。

 祖父は意識を失い、緊急入院となった。彼女は大学を休み、生と死の境をさまよう祖父に付きっ切りだった。私も毎日見舞いに行き、何度も祖父に呼びかけたが、返事が帰ってくることはなかった。病室で彼女と色々な事を話した。祖父の家に来た時のこと、竹林で私を見つけた時のこと、マウンテンバイクでぶっ飛んだこと、初めてバイクに乗った時のこと、話は尽きなかった。そして、話が尽きることを恐れていた。彼女にとって祖父は親も同然である。何か話して気を紛らわせたい、彼女の取り留めのない話の裏には、そういう意図があるようにも感じられた。


 そしていよいよ大変だとなった時に浮かび上がるのは相続問題である。子供は私の母と、もう一人叔父がいる。この二人だけならば問題にはならなかった。二人共、それなりの家庭と蓄えを築いているし、これ以上足すところもなければ引くところもない生活に満足していた。むしろ二人は彼女を心配していた。天涯孤独になってしまうのはあまりに忍びない。どちらかの家庭に入れようか、それとも祖父の遺産を相続させて自立させたほうが新たな出会いを見つけて幸せになれるのだろうか、私にも意見を求められたが、何も言えなかった。ここで私が一緒に暮らそうと言うのは卑怯な気がした。これまでに四人の男たちが無理な条件に挑み、敗北したのを間近で見ている。義理立てる訳ではない。同じ人を好きになった人情と言ったほうが近いのかもしれない。


 こうなると騒ぐのは遠縁の者だ。これまで祖父を毛嫌いしていた様な人間ですら「血の繋がりもないような人間が財産を相続するとは何事か、それならば自分たちにも遺産を寄越せ」と乗り込んでくるのだから質が悪い。更に質が悪いのは祖父の病室に上がり込んで、彼女が見ている前で私の母や叔父に食って掛かることだ。叔父が激怒して病室から叩き出したが、彼女の表情は暗く沈んでいた。


 ある夜、病院を訪れると彼女が真っ暗な病室の窓から月を見上げていた。三日月のように照らされた横顔は、濡れているように反射していた。いや、本当に濡れていたのかもしれない。涙の跡が見えた気がしたが、私はなるべく明るい声で話しかける。

「なんで電気をつけていないんだよ」

はっとして彼女がこちらを向き、答えた。

「だって、おじいちゃんが眩しそうだったから」

壁のスイッチで電気をつけると、確かに祖父はほんの僅かに眉間に皺を寄せ、眩しそうに見えた。

「ああ、確かにこりゃ眩しそうだな。消しておくか」

私は電気を消し、椅子に腰掛ける。彼女はまた外を見ている。無言の時間が流れる。

「おじいちゃんが死んじゃったら、私、どうしよう」

彼女は小さく呟いた。私は何も言えず、黙って俯いていた。彼女は続ける。

「本当はね、前の男の人達と結婚するのも悪くないって思っていたの」

「じゃあなんであんな無茶なこと言ったんだよ」

「欲しかったのよ、本当に。結婚するのもいいと思ったけど、そしたらこの先の私の人生はある程度決まってしまうでしょ。そこまで考えた時、なんだか急にどうでもよくなっちゃった。とにかく速くて、くだらない現実なんか追いついて来られない物が欲しかったのよ」

自嘲的な溜息が聞こえた。

「でも、無理なのかな。だって現実は化け物みたいなスピードで追いかけてくるんだもの。タケと病室で昔の話をしたでしょう。昔って不思議ね。その時はスピードなんて感じないのに、振り返るとすぐそこにいるの」

「過去がどんなに速くても自分を追い抜くことはできないよ」

きょとんとした彼女は一拍おいてクスっと笑った。

「そうね。まるで影みたい」


 面会時間の終了が近づき、彼女と共に病室を出た。

「おじいちゃん、明日も来るからね」

彼女は返事のない祖父に呼びかけた。それぞれが駐車場に停まっているバイクに跨り、暖機運転をする。

「ねえ、タケ」

アイドリングの音に混じって彼女の声がする。

「もしも…」

彼女の言葉を待ったが、その先は聞けなかった。

「なんでもない!またね!」

彼女はエンジンを二度吹かすと、夜の闇に消えていった。化け物から逃げるように。彼女は知らない。私が持っている化け物を。

 それが手に入ったのは偶然だった。彼女より大きなスズキのバイクは、祖父の持ち物にあった。私がバイクに乗り始めた時、祖父と二人で話をした。二人で盛り上がった頃に、祖父が小さい声で私に言った。

「儂の別荘にガレージがある。そこは死んだ婆さんも入れなかった、儂のおもちゃ箱みたいなもんじゃ。そこに、一台のポンコツが置いてある。直すなら、お前にやる」

ガレージの鍵を私に手渡した祖父はニヤッと笑った。


 私は翌日の朝早くに出かけた。その別荘まではバイクで一時間、確か私の知っている別荘は他にも三つあったはずだ。どれだけ家があるんだとヘルメットの中で苦笑いしながらもその場所に行き、ガレージを開けた。埃が舞い、視界を遮る。咳き込みながらも辺りを見回すと、普通の車なら余裕を持って四台ほど止められそうな空間が広がっていた。本当にポンコツとしか言えない物がいくつも転がっている。天井からは年式のよくわからない飛行機のプラモデルが釣ってあるし、床に落ちてしまっている物もある。壁には雑誌の切り抜きや外国のポスターが貼ってある。古い自転車にバイク、古い車も一台置いてある。車の隣にカバーの掛かったバイクがあった。鈍色のカバーをめくると、祖父がニヤリと笑った意味がわかった。私もその時、きっと同じ顔をしただろう。


 それからはアルバイトをこなし、給料は修理代に充てた。手に入らないパーツもあったが、ワンオフ(オーダー品)で作ってもらった。高く付いたが、買う事を考えれば間違いなく安い。そのバイクの走行距離計は五百キロメートルを指していた。まだほとんど新車である。こんなものを店で探せば数百万は下らないだろう。そして修理を始めて一年が経った今、そのバイクは完璧な姿を取り戻し、ガレージのカバーの下で息を潜めている。


 抜けるような青空だった。黒い服に身を包んだ彼女は、育ての親である祖父の写真を持っている。時折吹く冷たい風が、季節の移り変わりを告げる。彼女は泣いていた。私も泣いていた。様態が急変したのは私達が帰ってすぐのことだった。連絡を受けてすぐに病院に戻った私達は、病室の外で祈ることしかできなかった。やがて医師が病室から顔を出し、私達を入れた。もう駄目なのだ。豪快で優しい祖父は、もう死んでしまうのだ。今まで心のどこかできっと治ると思っていた。そう信じていたし、またそのようにしか接してこなかった。後悔が涙となって流れ出る。手を握って呼んでも、まったく反応がない。私が右手、彼女は左手を握っていた。心電図が反応を鈍らせる。彼女はぎゅっと目を閉じて両手で握った祖父の手を眉間に当てている。私はそのいじらしい姿をみてたまらなくなり、大声で祖父を呼んだ。その時、握っていた手が私の手を握り返した。驚いて祖父の顔を見ると、少しだけ微笑んだように見えた。そして、それっきり祖父は動かなくなった。


 四十九日法要が終わった日の夜、私は彼女と例の別荘にいた。ガレージではなく、家の方に入り途中で買ってきた温い缶コーヒーを飲んでいた。電気は付けていない。煌々と照る満月が、窓から私達を照らしている。映画のワンシーンのようだ。青白い照明を当てられた女優が、悲しみを演じているように見える。本当に映画であればよかったのに。祖父の死も、彼女の悲しみも、全てが演技であればよかったのに。

 沈黙を保っていた彼女は唐突に言った。

「今日、親戚の人が来たよ。血の繋がりもない人間が財産を相続するなんて!って病院で騒いでた人たち。私におじいちゃんの家から出て行けって」

私は思わず立ち上がり、大きな声を出す。

「なんだって!そんな必要なんてない!」

弱々しく笑った彼女が私をなだめる。

「わかってるよ。でも、なんだか疲れちゃった」

埃を払っただけのテーブルに頬杖をついた彼女は、窓の外を見る。

「人が死んだことも過去っていう影になっちゃうのかな。きっと、その影に追いつかれた人が取り憑かれて死んじゃうんだろうね」

ふと思う。私は、この時のために一年を費やしたのかもしれない。祖父にはわかっていたのかもしれない。私は立ち上がり、彼女に背を向ける。

「ついてきて。あげるよ。影が追いつけないくらい速いもの」


 ガレージの鍵を開け、壁のスイッチを押すといくつもの白熱灯がガラクタを照らす。彼女を鈍色のカバーの掛かったバイクの前に連れて行く。

「本当は自分で乗るつもりだったけど、あげるよ」

「なに?バイク?」

彼女は怪訝そうな顔をしている。一気にカバーをめくると、その表情は驚愕に変わった。

「タケ、これって」

「RG500ガンマ、ウォルターウルフだよ」

黒い車体に引かれた赤と金のラインに四本のチャンバー、たった160キロほどの車体に95psのパワーを有し、最高速度は230km/hに迫る。今の大型マシンと比べると見劣りしてしまう部分はあるが、乗り物はスペックだけでは語れない。彼女の見かけが美人だろうと、決して淑やかではないのと同じかもしれない。Walter Wolfの金文字が入れられた上品なカラーリングも、走りだせばじゃじゃ馬だ。今更ながら彼女にぴったりだと思った。

「本当に、いいの?」

私は黙って笑ってみせた。


 ガレージから出し、スペアキーが付いたままのキーを回すと電気系統が血液のように車体に行き渡る。キックペダルを踏むと何かが爆発したような音と共にエンジンが動き出した。アクセルを吹かすと真っ白な煙が周囲を覆う。
 ヘルメットを被った彼女はそれにまたがり、メーターを覗きこんだりブレーキを確認したりしている。

「これ、まだ五百キロしか走ってないの!?」

「そうさ。このバイクは年代ものだけど、新車同様だよ。まだ過去にしちゃいけない」

彼女はメーターを見たまま固まっていた。やがて私に向かって大きな声をあげた。

「私のバイク、タケが乗ってよ!」

「ありがとう、乗るよ」

何故だか、自然にそう言えた。

「私、しばらく帰ってこないよ!影を振り切れるまで、これでぶっちぎるまで!」

急な事だったが、私は昔からわかっていたような気がした。

「あと、これをタケに預けておくから!」

彼女が投げてよこしたのは、ガンマのスペアキーだった。

「他のスペアは作らないから、絶対に、絶対になくさないでね!」

彼女がアクセルをねじ切れんばかりに開けると、ガンマは稲妻の様な雄叫びを上げる。

「じゃあね、タケ。元気で!」

若干ぎこちなく繋がったクラッチが動力をタイヤに伝える。滑るように走りだしたガンマは白煙を残し、みるみるスピードを上げて夜の闇に消えていった。


 まだツーストロークエンジンの甲高い排気音が遠くに聞こえる。私は手の中に残ったガンマのスペアキーと、彼女のものだったGSX-Rのキーを握りしめて空を見上げた。
 空には、何も知らないような顔をした満月が浮かんでいた。


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2013年09月17日

S駅の鏡

 あなたは、こんな話を知っていますか。山手線にあるS駅の話です。
 その駅は、ホームに鏡があります。最近はどこのホームにも付いているそうですが、私は意識したことがなく、その駅で初めて認識しました。普通に利用していたら気づかないかもしれません。その鏡は、少し高いところに設置してあります。正しい使用法はわかりませんが、駅員さんがホームのチェックに使ったりするのかもしれません。

 私の友達に、Nという女性がいました。通勤するのに、毎日S駅を利用していました。彼女もその鏡には気付きませんでしたが、ある夜にふと視線を上げると、そこに大きな鏡があるのを見つけました。大きさ以外は何の変哲もない鏡なので、そのまま忘れてしまったそうです。

 Nが遅くまで残業をし、終電間際にホームに駆け込んだ日でした。人で溢れかえるホームで、なんとか人の少ないところを探そうと歩いていると、鏡の下にきていたそうです。鏡を見上げると、なるほど、高いところに設置されているせいで遠くまでよく見えます。

 Nが違和感を覚えたのは、その時でした。
 鏡の中の線路に人が落ちています。驚いて線路を見てみると、何もありません。しかし、鏡の中に映る線路にははっきりと、うつ伏せで藻掻く人の姿が見えます。そこに電車が入ってきました。Nは迷いましたが、停止ボタンなどは押しませんでした。周りの人にも見えていれば、誰かがきっと押すと思ったからです。

 電車がホームに入ってきました。何事も無く、いつも通りに入ってきました。Nはホッとして電車に乗り込みました。

 その次の日から、おかしなことが起こり始めました。

 朝、目を覚まして洗面所に立つと、鏡の中に這いずる様な人影が映りました。しかし振り向いても何もいません。昨日のことを意識し過ぎて変なものが見えた気がしたんだろうと思い、そのまま支度をして会社に向かいました。S駅の鏡を見てみましたが、そこにはいつもの通勤風景が映っているだけでした。仕事中、会社のトイレの鏡にも映ることはありませんでした。Nはそれきりそのことは忘れて仕事をしました。

 昨日に引き続いて、Nは残業をしました。昨日ほど遅くはありませんが、フロアには自分一人です。若干の気味悪さを感じましたが、いまさら怖がってもどうしようもないので20:30頃まで仕事をし、切りのいいところでパソコンの電源を落としました。

 暗くなったモニターに、這いずる人影が映りました。

 驚いて振り返りましたが何もいません。さすがに怖くなったNはバッグを引っ掴んで会社を飛び出しました。S駅では例の鏡からなるべく遠い場所に立って電車を待ちます。この時になって始めて友達に相談をしました。その友達は自称霊感のある人間で、名前をAといいます。
 Nは『相談したいことがある。できれば、今日これから』とメールを送信し返事を待ちました。数十秒でAから返信があり、これからAの家の近所の喫茶店で話を聞いてもらうことになりました。
『じゃあこれから向かう』とNが連絡のメールをした数秒後、メールを受信しました。Aからのメールではありません。知らないアドレスからです。


『N、お前が停止ボタンを押していれば
 こんなことにはならなかったのに』


 Nは携帯を開いたまま固まってしまいました。線路上に何かがいるように見えましたが、見ないようにしてちょうど到着した電車に飛び乗りました。

 Aは指定駅の改札前で待っていました。震えるNの肩をさすりながら喫茶店に入ります。二人共暖かいミルクティーを頼み、一口飲んでからNは淡々と今日の出来事を話しました。ひと通り話を聞いて、Aが話を始めました。

「N、それは多分、電車に轢かれて死んだ人の怨念かもしれないね」

「怨念?だって、どこででも電車の事故なんて起こってるでしょ?」

「起こってるよ。それに、山手線より中央線の方が数も多いかもしれない」

「じゃあなんで…?」

「山手線は中央線と違って環状線だから、終わりのない円を書いてるよね」

「うん。それが?」

「普通ならその場に留まったりするんだけど、環状線はちょっと違う。終わらないんだよ。電車に引きずられて、延々と回り続けなきゃいけないんだ。それは霊体としてなんだけど、本人はその苦しみを味わい続けなきゃならないんだって。それで、一体だったものが引きずられていく内にいろんなものとくっついて、怨念がどんどん大きくなって、更に誰かを引きこもうとするんだよ」

「そんな…。私はそれを見たっていうの?」

「そう、かもしれないね。あくまで可能性の話でしかないよ。」

「私、どうしたらいいんだろう…」

「気休めだけど、お祓いとか行ってみたほうがいいかもしれないね」

 その夜、NはAの家に泊まることになりました。Nは今度の日曜はお祓いに行く、そう決心しました。本当は翌日に行きたかったのですが、残業が続くほど忙しい状態なので、そんなすぐには行くことができません。
 
 翌朝、AはNを送り出してお祓いをしてくれるところを探しましたが、結局は無駄になってしまいました。
 最後にNがAに送ったメールを残して、Nは死んでしまいました。電車への飛び込み自殺だったそうです。

 最後のNのメールですか?こう書いてありました。


『A、お前が私の出勤を止めていれば
 こんなことにはならなかったのに』


 なんで最後のメールを知っているかですって?
 隠しても仕方ありませんね。実は、私がそのAなんです。
 Nは、たぶん怨念に引きずり込まれたんだと思います。改札から出てきたNを見たあの日、「しまったな」と思ったんです。もう、後ろから何かが這いずって付いてきていたんです。正直、私も怖かった。本当は泊めたくなんてなかった。だけど、相談を持ちかけられて弱っている相手を放っておくこともできませんでした。
 仕事に送り出した時も、なんとなくこうなるんじゃないかって思っていました。そしてあのメール…。

 あのメールを受け取ってから、私の後ろにも何かが付いてきているんですよね。鏡にも何かが映ります。私はS駅に近づかないようにしていますが、きっとそんなことは関係ないんでしょうね。だって、線路は続いています。輪廻のように、どこまでも続いているんです。
 苦しみ続けている怨念も、苦しみという輪廻の輪に囚われてしまっているかもしれませんね。

 ところで、あなたは携帯を持っていますか?
 何故って?次は私があなたにメールを送る番ですから。




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2013年08月24日

山道

 俺がバイクを買って間もない頃の話だ。先輩や友達から『同乗者用のステップは畳んでおけ』と言われていた。バイクに縁がない人に軽く説明しておくと、バイクの後部座席用のステップ(足を乗せる所)は、ほとんどの場合が折りたたみ式になっている。上に跳ね上げると畳めるのだ。

 何故後ろのステップを畳むのか。忠告の理由は安全性ではなかった。後ろに乗せないためだ。人ではなく、人以外の何かを。車でいわゆる曰く付きの場所を走る時、座席の隙間を作るなと聞いたことがある。その隙間に何かが乗ってくるからだそうだ。車の後部座席に二人が乗った場合、間にはぬいぐるみなどを置いておくといい。バイクは窓もドアもないむき出しの座席なので、乗りやすいらしい。

 霊の存在を信じきっているわけではないのだが、その話を聞いて何となく嫌な想像が働いてしまったので、乗る時は必ず畳むようにしていた。その癖は今でも変わらない。

 免許を取って二年目のことだっただろうか。もう夜は寒くなっている時期だったが、飽きずに毎日乗っていた。仕事が終わり家に帰ってからのことなので、帰宅する頃には日付などとっくに変わっている。近所を走り尽くした俺は、ある日から山に向かっていた。山道は適度なカーブが断続的に続き、慣れるにはもってこいだった。日の沈んだ深夜だし、舗装もさほど綺麗では無かったので飛ばす事はできなかったが、楽しかった。

 十月も終わりに近付き、そろそろ山道は秋の終わりを告げていた。冷たい風が吹き、道路の脇には枯葉が溜まる。そろそろ山は終わりだな、そう思っていた頃だった。

 今年最後にちょっと遠出をして終わりにしようと考え、寒い中厚着をして高山市に行った日だった。出発地の富山県からはかなり時間がかかり、厚着のかいもなく体は芯まで冷え切ってしまった。コンビニでおでんを買って食べた。暖かさが身にしみた。

 帰り道、ちょっとしたスペースにバイクを止め煙草を吸う。エンジンが冷えてキン、キンと機械的な音を鳴らす。山が駄目となるとやはり近所か、雪が降るにはまだ時間があるな、と考えていた。煙草を消し、バイクに跨る。

 外灯のないトンネル区間に入る。川沿いのその区間はトンネルだが川側が柱だけで出来ていて、昼間は日光が入るので明るい。しかし夜は全く光がなく、ヘッドライトの頼りない光を辿るしかない。普通のトンネルならば、寒い時期は中が暖かい。夏は逆に涼しくなる。地下室を想像してもらうとわかりやすいかもしれない。しかしこのタイプのトンネルは空気の通りがいい。おまけに水辺なのでとても寒い。身震いをしながらトンネルを抜けた時、それに気付いた。

 何か違和感がある。ヘッドライトがいつもより遠くを照らしている。乗り物の特性上、加速をすると荷重が後ろにかかり、後ろのサスペンションが沈んで前は上がる。ヘッドライトも本来の下向きから角度が変わり、水平に近づくので遠くを照らす。しかし、今、加速はしていない。

 嫌な予感が頭を過る。後輪のパンクによる空気抜け、ヘッドライトのガタつき。カーブをいくつか抜ける。いつも通りの加速、光軸もガタつきはない。後ろのサスペンションが沈んでいる。後ろに荷重が掛かっている。その時、山道の数少ない外灯の区間に入る。

 影が、ある。

 オレンジの柔らかい光が、タンデムシートにぼんやりとした影を映し出している。冷たい空気が服の中に入ってきた気がした。背中から体温が失せていく。俺は早くどこかに着きたくて、アクセルをいつもより少しだけ大きく開けた。

 違和感は続いている。時折、ヘルメットに何かがぶつかり「コツコツ」と音を立てる。ヘルメットの中で反響が起こり、耳に残る不気味な音になる。コツコツの合間に、風切り音に似た断続的な音がする。それは風切り音よりも少し低い音で、女性の声にも似ている。力の限り悲鳴を上げる、悲痛な声に似ていた。

 冷や汗が目に染みるが、目を閉じるとそのまま知らない場所に行ってしまいそうな漠然とした恐怖が頭を過り、我慢するほかなかった。冷えていく体の中で、心臓と目だけが熱くなり、そこには俺ではない何か違う生き物が住んでいるように感じた。

 恐怖と闘いながら走り、ようやくコンビニを見つけた。俺は冷えて動きの悪くなった指でウインカーを出そうとした。対向車線をトラックが走ってくる。トラックのライトが眩しく感じたその瞬間、目の前に影が飛び出した。危ない!と感じる前に俺の手はブレーキを握りしめ危機を回避しようとする。

 何かにぶつかった衝撃もなく、バイクは静止した。何だったのかと思い、後ろを振り向いてみると、山道に入ろうとカーブを曲がっていくトラックが見えた。柔らかいオレンジの外灯を反射する銀のコンテナの上に、ぼんやりとした人型の影が乗っていた。

 すぐにコンビニに入る。やる気のない深夜の店員の声が聞こえてくる。しかし俺には助けの声に聞こえた。 落ち着くまで店内をウロウロし、ホットコーヒーを買って外に出る。直接的な何か嫌なもの見たわけではないし、夜道でのことだ。何かの間違いもあるだろう。コーヒーを飲みながらバイクを一回りして眺めてみる。ざっと見回しても、変わった様子は見受けられない。しゃがみ込んでタイヤの様子も見てみるが、異常なしだ。しゃがんだまま眺めてみると、俺の触っていない部分に変化があった。

 後部座席用のステップが降りていた。

 毎日乗る前には下りているか確認しているし、その日も例外ではない。そんなバカなと思い、タンデムシートを撫でてみると、そこだけ異常なほど冷たく、十一月も迫った寒空なのに結露で湿っていた。
 
 翌年も恐る恐るその道を走ってみたが、あるのは山の湿った静かな空気と、舗装のさほど綺麗では無い、曲がりくねった道路だけだった。

 俺はバイクに乗る時、必ず後ろのステップを確認している。



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